美術館・画廊・書籍メモ

行ってきた展覧会・読んだ本などの記録です。気が向いた時、気が向いた分書いています。 同じ展覧会に行った方、そうでない方も、お気軽にコメント・トラックバックしてください。

土門拳記念館 「棟方志功と土門拳」展

 山形は酒田の、土門拳記念館に行ってきた。
 関東からはあまりに遠い此処に何故行ったかというと、何ということはなくて、お盆だからである。
 一族総出……というほどには人は集わなかったが、一通りの行事を終えてから、家族で酒田へ。

 風景を通す四角い建物の傍には池があって、白鳥が休んでいる。緑が多く、佇まいは川村記念美術館に似ている。
 以前に吉祥寺美術館で土門の個展を観ていたから、目新しい写真は無かった。特別展で併せて展示されていた棟方志功の版画も、彼の出身地・青森で大体観ていたし。

 それにしても、写真って何なんだろう。私は、「その時代に」「その紙で」「そのサイズで」焼いた写真こそが、写真家の意図を実現した信頼できる写真なのかと思っていたけれど、そうではないようだ。
 今写美でやっている「ヴィジョンズ・オブ・アメリカ」展のように、技術史をさらう展示ならば、この条件を充たしたものが展示される。でも、時代の古い紙ほど古びてしまうから、遺作の展示ともなれば「その時代に」焼いたものを、というようにはいかない。それは分かっている。
 しかし、例えば、つるっとした紙とざらざらの紙の違いとか、色味の向上(?)とか、そういう技術的進歩(実際どういう進歩があるか私はぜんぜん知らないが)を素直に反映していいのだろうか。それは写真家がその時代想定していなかったものである。
 そして、大きさ。これもとても大事なものだと思う。著名な写真ほど引き伸ばされて荒れまくっているが、それでいいんだろうか。

Chim↑Pom 「日本のアートは10年おくれている」

 サンキューセレブプロジェクトの辺りからよく知るようになったが、展示を見るのは初めて。恵比寿に新しく出来たNADiff apart、ここを訪れるのも、当然ながら初めてだ。

 総ガラスのぱりっとした白い建物の脇に、手すりつきの下りのスロープがあって、角をひとつ折れてB1Fの入口(開放)に通じている。その折れた先から入り口にかけて既に水浸しで、ぼろい資材で高めの足場が組まれている。ヒールで来なくて良かった、と心から思いながら進む。足場のせいで入口が低く狭いため、かなりかがんで入る。ひんやりと涼しく、無臭。四面コンクリートのそう広くないスペースだ。中の足場は三人乗り程度の大きさで行き止まりのため、相変わらず屈んだまま、そこから窮屈な思いで見回す。水の深さは40cmぐらいだろうか、意外と浅い。水面には涼しげにゴミが浮いている。真ん中らへんに小さな小便小僧が立ち、上品に用を足し続けている。四方はラッカーの落書きだらけ、ポスターも貼られている。「ヨン死」(意味不明)とか相合傘とか色とりどりだが、二点から差し込むうららかな外光のせいか、うるさい感じではない。
 それに、Chim↑Pomのメンバーがこの「現場」で水に浸かりながら放尿したり騒いだりする1分足らずの映像が、小さな画面で延々繰り返されている。音が結構大きく、これが唯一、ささやかな不快と危機感を呼ぶ。

 もう誰も居ないベッド(よれきったシーツと、散らかったごみや雑貨。辺りに残る湿りけ)を前にしている感じだ。エロの抜けきった冷静な頭で、小さな発見に、ふーん、と呟くような。

 Chim↑Pomは誰もやらないこと(実際はそうではないのだが)を一番過激にやっている集団かもしれない。なんかできれば会いたくないような人たちだが、誰もが真面目くさって言葉を発して悦に浸っている世界において希少なグループだ。「ぴりっとする」打率の良さは、それなりに考え抜かれたと思われるアグレッシブなアプローチに由来するのだろう。彼らが考え抜くのはテーマではなくあくまでも手段である、恐らくは。重たそうな大きそうなものを拾ってきては計画を実行しているが、いつネタを切らすのだろう。

 思ったよりほめてしまった。Chim↑Pomにまつわるあれこれはエリィがかわいいので許すが、彼らを手放しでほめるコメンテーターみたいな人々が大概好きではない。
 私もそう色々読んでいるわけでも考えているわけでもないけれども(あとで、もうちょっと考えてみるけれども)……同じレベルで愉しむとか、意味を読み込むとか、逆に「そんなの無駄だ!」とクールに(笑)かわすとか、どの態度も批評ではない。価値のある言葉を語るには生態観察が必要だと思う。初期DVD《P.T.A》1900円とかで安いから買えば良かった。でも買ったら後悔しそうだ。

 ちなみに1FのNADiffの床が面白い。コンクリートが床上浸水しているのかと錯覚するような趣で、まだらにてらてらと光っているのである。Chim↑Pomと関係あるのかないのか。きになるところ。

「アール・ブリュット 交差する魂」展

 以前、「アウトサイダー・アート/戸來貴規」の題で、新日曜美術館の特集の感想と、おぼつかない私見を記事に書いた。
 汐留の展覧会にようやく行ってきた。印象はまた変わった。

 アウトサイダー・アートあるいはアール・ブリュットというのは、スペースをびっしりと埋め尽くす質量や、滾々とあふれる生命感を押し出してくるものとして語られるが、そういうパワーは、どの作品にもみられる性質ではない。
 戸來の日記の場合、紙束の重みの語るものはあったが、一枚一枚は映像や写真で見るよりずっとくすんでいる。段ボールに色鉛筆で男女の婚礼を描く小幡の赤の筆力は、老いを如実に表す弱々しいものだった。
 ところで、坂上チユキ、立体はミクロの迫力があったが、平面は沈んでしまっている。松下電工に向かって気が引けるけれど、照明の選択が悪いのではないかと思う。
 
 最大の収穫は、マドリード・モスクワ・東京の三都市の細密な平面を出品していたヴィレム・ファン・ヘンク。アウト云々、アール云々、という併記が要らないほど、色と線とに優れ、構成にも遊び心にも優れている。

 いわゆる作品として批評するのは、一部の作者の本意ではないだろう。
 彼らは必ずしもオリジナリティーやセンスを持つわけではない。作者のカテゴライズは作品の共通性を呼ばない。しかし、鑑賞に際して敬意が自然と生まれるような制作物ばかりだった。
 作者たちはただならぬ人間であるし、彼らが秀でているという事実は、人間が誰しも時にただならぬものを持ち合わせている、という証でもあるだろう、などと、取り敢えずはまとめる。

[通路] 閉幕

サンクンガーデン

 通路が終わった。
 この展覧会に関して、まだまともな批評を読んでいない。

 暮沢剛巳/難波祐子編著『ビエンナーレの現在』という本を読んだ。川俣さんがディレクターを務めた横浜トリエンナーレ2005について福住廉・難波祐子が文章を寄せているが、川俣正の作品/展覧会をつくる手法に対して、批評家の言葉が未だ追いついていないとの指摘が印象に残った(両者の文章もまた、状況を指摘するに留まっている)。美術批評の知見から測ろうとする評価の物差し自体が最早古びているとし、素人批評の時代の到来を高らかに告げている。

 文章全体についていくつか反論があるが、私が一番言いたいのは、鑑賞者(大衆)至上主義はおかしいということだ。
 展覧会のあり様そのものは、堅かろうが柔らかかろうが構わない。好みはそれぞれとして、それはキッチュもエンターテインメントも丸ごと飲みこんでしまった今日的な日本語「アート」の状況を反映している。
 しかし、テレビや映画を観るような態度で作品に接し、つまらなければ分からないといって場を離れてしまうような観客が、ビエンナーレ・トリエンナーレから絵画を奪っているのではないか。
 これはVOCA展シンポジウムで出た話題だが、今年の横トリには絵画作品の予定が無い……らしい(オーソドックスな内容に戻るという話だから、まさかとは思うのだが、事実は確認できていない)。
 気候などの条件から、国際展で絵画を見せるのは難しいともいう。ヴェネツィア・ビエンナーレは最たる例なんだろう。けれど、横トリのように人と期待の集まる機会に絵画をじっくりと見せないことには、結局あらゆる作品を「アート」という字面で受け止める観客が増えるだけで、絵画の豊かさが見過ごされてしまう。

 良いものを良いと責任を持って言えるのは、批評家や学芸員、美術をダシに食っている人間だけだ。
 通路が展覧会として成功した部類になるのか、私は自信がない。予定の人数を動員し、和やかに幕を閉じたことは確かだけれども、果たして何人が「美術館に通路を設けた」ことに対して思索を巡らせただろう。ちょっと、ベニヤと垂木の連なった構築物に対する視座が、ぼやけてしまったんではないだろうか。
 川俣さんが確か芸術は嗜好品だと言っていて、それはその通り、生理的・反射的に判断するのも結構なんだけれども、やっぱりこれは人間の営みだ。せめて、うろついた労力の分だけでも考えて出した結論であってほしいと思う。

 関係者のみなさま、意義深い展覧会をありがとうございました。
 撤去頑張って下さい。
 今後も各ラボのご活躍楽しみにしております。

 『川俣正[通路]』展

「アーティスト・ファイル 2008 - 現代の作家たち」展

 国立新美術館のアニュアル展。
 私にとってはほぼ未見に等しい8名だったが、面白かった。

 同時代の動向を紹介する、という名目が謳われているが、こういう時ピックアップされがちな浮き足立った動きばかり見てきた目が癒されるようだった。……といっても、私が国内ばかり見ているだけで、国外では同様の扱いを受けている作家なのかもしれない、そこは定かではないけれども、すくなくとも、新美の作家の取り扱い方には好感を持った。作品には充分なスペースが与えられ、解説にも嘘が無いし、何よりカタログがすごい。作家ごとに一冊、経歴から参考文献(というのか、作家を扱った書籍・雑誌等のリスト)まで充実した小冊子にまとめている。持ち上げる側の責任感、裏方の使命感を感じて、こちらも身が引き締まるような思いだった。

 良かったのは竹村京とエリナ・ブロテルス。特に後者の写真はどれも、お、と思わせるものばかりだった。写真の記録性と、非・視覚性が美しく表されている。どちらの要素も、この世のものでない場所、を感じさせる。

 白井美穂やさわひらきを見るにつけても、インスタレーション・映像といったメディアの区分は不要なのかもしれないと思うのだが、あえてひとこと言うなら、もう一歩絵画で魅せてほしかった。佐伯洋江は、私にはいまひとつ。構成力はあるけれども、近作の余白は、死んでいるように見えた。四角い画面である必要性が無いんじゃないの。


「アーティスト・ファイル 2008 - 現代の作家たち」展
会場: 国立新美術館
スケジュール: 2008年03月05日 〜 2008年05月06日
4月29日(火)、5月6日(火)は開館、4月30日(水)は休館。
住所: 〒106-8558 東京都港区六本木7-22-2
電話: 03-5777-8600

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ユコ

Author:ユコ
芸術学科所属、
日本美術史を専攻します。

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