「"電撃"とその時代」展

16日に行った横浜美術館と横浜の森美術展の話をすっぽかして、9月19日、岡本太郎記念館を訪れてのレビューです。
岡本太郎記念館は、岡本太郎が1953年から1996年、八十四歳で亡くなるまで、半世紀近くもの間岡本太郎のアトリエ兼住居だったところ。
彼の死後これを記念館としており、小さいながらも展示室・太郎のアトリエ・庭・ミュージアムショップ・カフェを備えています。
表参道駅から徒歩10分。ちょっと迷いました。
ジルサンダーだとか、まだ私には縁の無いブランド店が並ぶ通り。そこから路地に入ってすこしの場所に、太郎の彫刻のはじっこがひっそりと見えていました。
近づいてみると、ヤシの木とも何ともつかぬ数種類の南国の木が生い茂る庭が。太郎の彫刻が所狭しと並べられているのですが、どの作品も草が絡み、ペンキがはげていて、植物と彫刻が生命力を競いあうような不思議な空間が出来あがっていました。
玄関をあがりスリッパを履くと、すぐにミュージアムショップがあります。
受付の女性から600円のチケットを購入し、まずは右手のアトリエへ。
これでもかというほどめいっぱいに並べられている彫刻作品の部屋を通り過ぎると、突き当たりが太郎のアトリエです。
まず眼に飛び込んでくるのは、天井の高さと、まるで書棚に並べるようにぎっしりと詰まった棚の中のカンヴァス。
はるか低いところに机があり、当然ながら汚れたままになっています。机の反対側には、とてつもなく大きな刷毛が並びます。間には、上下から挟むタイプの、どっしりとしたイーゼルがありました。
太郎はもうこの世の人ではありませんが、まだ個人のアトリエを訪ねたことのない私にとっては、作家の息遣いを新たな形で感じた、驚きの場でした。
同時に、埋もれていて状態もよく観察できない大量のカンヴァスについて「こんな無造作な保管をしていていいの?」と心配に感じてしまいました。のちに調べたところ、アトリエに立ててある作品は全て描きかけのものであるということでした。
それにしても、少し勿体無いようにも感じます。
「"電撃"とその時代」展は、二階のふたつの小部屋にて展示されていました。
メインとなるのは、太郎が若き頃に描いた《電撃》。館内の説明書きと映像によって、発見・修復の様子とともに鑑賞することができます。
あえてケチケチした視点を加えれば、庭やアトリエを含めても、600円の価値を感じないお客さんも居るかも……という印象がありました。とにかく、展示室の壁や庭など、館全体の手入れを怠っている感が否めません。二階の展示も展覧会と呼ぶにはあまりにこぢんまりとしていて、一貫したコンセプトも何もありませんでした。
そんな私も、結局は太郎の絵・太郎の彫刻の気迫に魅せられてしまったのでしたが……
「美的体験を買う」というより「時間を買う」という感覚でしょうか? ホワイトキューブでない場所で美術を観る、という状況は、美術館やギャラリーでの体験とは異なった意味合いがあるように思えてなりません。
岡本太郎が居た場所の、飾り気ない、しかし確かに異質な空間性は、充分に刺激的で、作品を見る度に胸が苦しくなりました。
《電撃》、1957年の作品だったと思います。若き太郎の苦しみと、まだ“太郎色”を探り当てていない表現・構成とが見事に共振していました。
特有の“太郎色”の作品も気迫が濃くて良かったのですが、新たな観点を得られたという点では、太郎の人物デッサンや肖像画を見られたのがなかなか面白かったです。
奥さんを描いた絵は、その少ない線から愛情が染み出していました。戦時中、眠る同胞を描いた絵は荒々しく饒舌で、高まってゆく憤りを感じずにはいられません。
太郎の辿った軌跡を知識として得られるのは勿論のこと、情報では決して伝わることがない、彼の生きた痕跡をこの身で体感し、身震いしました。
川崎市にも岡本太郎美術館がありますね。遠いけど、行ってみたいなぁ。
11月4日まで。
『「"電撃"とその時代」展』
会場: 岡本太郎記念館
スケジュール: 2007年08月01日 〜 2007年11月04日
住所: 〒107-0062 東京都港区南青山 6-1-19
電話: 03-3406-0801 ファックス: 03-3409-5404
「メルティング・ポイント」展
こちらもICCと同じく、初台の東京オペラシティにて開催中の展覧会。
ジム=ランビー、渋谷清道、エルネスト=ネト。
展示空間を贅沢に使い、彼らの作品の魅力を引き出そうと試みています。
メルティングポイントとは、固体が液体になる瞬間の温度のこと。これにからめて例えるなら、きんと静止していたアイスクリームが、ある瞬間ぐらりと融解したような感じでしょうか。
緊張感と異世界感の途切れることなく、観者は、三人のインスタレーションの中に「入って」ゆきます。
ランビーの贅沢に抜けた空間と、渋谷の四角く閉じた白い箱、そして、繊細なテンションの横断するネトの部屋。
体にビビットに伝わるリズムと、それに伴う満足感は、この構成に因るところでしょう。
このあとに、余韻を楽しむように彼らの小品(主に平面作品)が十数点続きます。
ジム=ランビー(イギリス)のインスタレーションは、床面を含む6作品で構成されています。
正直な感想としては、ランビーが一番分かりづらかったかな。
金、銀、黒、白のストライプが床を走る巨大なホワイトキューブ《ゾボップ》。
ペンキを頭からかぶった大きなインコ《ザ・バーズ》、アルミテープが巻かれた鍵穴形の大きな木枠《ボディロックス》。
割れた鏡でコーティングされた椅子とハンドバッグが宙に浮く《アンディスコ・ミー》。
見逃してしまいそうなぐらいひっそりと立てかけられた、でこぼこの杖《サイケデリック・ソウル・スティック》。
そして、壁にぺたりと張り付いた絨毯《ドント・ファイト・イット、フィール・イット》。
広大な空間がだれることなく、各作品が拮抗していたのは見事。
しかしそれはあくまで視覚上(感覚上)のこと。彼の作品が初見であったこともあり、この全てが「ランビー」という人間と、日本という土壌で結びついている、ということは感じられず、頭の中で唱えながら見ていきました。
《ゾボップ》一点の圧倒的な支配のもと、各作品の持つ領界との距離を測りつつ進む感覚は好きかもしれません。
気に入った一点は、絨毯の上に青、赤、紫、緑のラメが円く平たく固まった《ドント・ファイト・イット、フィール・イット》。アラビアンナイトの空飛ぶ絨毯のイメージと書いてありましたが、くたびれた絨毯はちょっと飛びそうにはなかったな。でも、細かな色の粒子の集合体が彼にぺったりくっついているさまは、可愛らしいおばけみたいでした。
渋谷清道(日本)のインスタレーションは、白と陰の空間。
カーペットが敷かれており、スリッパを履いて入らなくてはなりません。
床も白、天も然り。やや照明の落とされた細道から入っていき、突き当たりを探したり、低い間口を通るのにしゃがんだりしながら、渋谷の作品も探すという感じ。
小心者のわたくし、このような作品には、お化け屋敷に入るのにも似たささやかな恐怖心を感じるのが常なのですが、靴を脱いですぐに出会う《ミステリーサークル/影-1》の柔らかさのせいか、やさしい気持ちで歩くことができました。
渋谷の作品は、繊細な花形の環が、切絵のように切り抜かれたもの。
同じ曲線の反復で描かれた図形のはずの白いシルエットは、咲き乱れるようでもあり、観る者を中心に誘い込むようでもあります。静かな生命力に満ちた白い環が、いくつもいくつも。数え切れぬ泡のように浮き出ています。
この「切絵」が施されているのは、紙でも金属板でもなく、不織布なのです。
なんでも渋谷は日本画出身で、伝統的な日本画の素材に造詣が深いよう。
ぴんと張られるでもなく、時が止まったように重力に逆らう様子、白の顔料で塗り固められていることは分かったのですが、厚紙かアルミ板か……と思ってたので、びっくりしました。
あと、不覚にも部屋の角をなくした演出にも気づかなかった。気づきませんでしたが、知って腑に落ちた部分はありました。
まだ光の届く海の底、その綺麗な部分だけを敷き詰めたような白の部屋は、雑音を極力拝し、美しいものや言葉だけを想起させるものでした。
タイトルの中の「ミステリーサークル」「オーパーツ」「影」という単語の神秘性は、今回渋谷がテーマとしたという人魚姫物語と、彼の形作る環を介して結ばれています。
作品は決して神の手には拠りません。しかし、渋谷の神話的な美への敬意を通じて、それは創られているように思います。
白い小道を抜け出ると、エルネスト=ネトの部屋へ。
《それは地平で起こるできごと、庭》と題されたインスタレーションは、私が過去に図版で見た彼の作品に比べれば、シンプルでぎゅっと纏まっているという印象。それでも、柔軟に伸びるクリーム色の皮膜(のような布)、下方に突起する小石の張力、貫通する円形の穴の様子は、体内のどこかを引き伸ばして見せられたような懐かしさ、共鳴をもたらしてくれます。
ネトのインスタレーションに、エロティックさ、もどかしさを感じるのは、柔軟でありながら硬直し、決して裂けない皮膜のテンションゆえでしょう。
皮膜はその伸びやかなくびれの中に必ず「触れられない空間」を持ち、観者には見えないところで柔らかな唇をあけています。
我々は平坦に開いた穴の中に頭を出し、皮膜の地平を眺めるより他ありません。上下に張られた皮膜を繋ぐ柱と、わずかに沈む石と、穴の反復する風景。その中に、同じように戸惑う他者の顔を見つけると、同郷者のような気がするから不思議です。感覚や感想は共有しなくとも、細胞のレベルでひとは繋がっている。厳然たる風景を隔てながら、そんな風に感じてしまいました。
構造的な説明を欠いていて分かり難いかと思うのですが、柱の中にも入ることはできます。身長154センチメートルの私には、布のきめ細かさに遮断されてほとんど周囲が見えません。見る人と場所によっては、頭が上の布を突き抜けて、もう一つ別の風景が見えるのかも。
10月14日まで。
『「メルティング・ポイント」展』
会場: 東京オペラシティ アートギャラリー
スケジュール: 2007年07月21日 〜 2007年10月14日
8月5日[日](全館休館日)
住所: 〒163-1403 東京都新宿区西新宿 3-20-2
電話: 03-5353-0756 ファックス: 03-5353-0776
ジム=ランビー、渋谷清道、エルネスト=ネト。
展示空間を贅沢に使い、彼らの作品の魅力を引き出そうと試みています。
メルティングポイントとは、固体が液体になる瞬間の温度のこと。これにからめて例えるなら、きんと静止していたアイスクリームが、ある瞬間ぐらりと融解したような感じでしょうか。
緊張感と異世界感の途切れることなく、観者は、三人のインスタレーションの中に「入って」ゆきます。
ランビーの贅沢に抜けた空間と、渋谷の四角く閉じた白い箱、そして、繊細なテンションの横断するネトの部屋。
体にビビットに伝わるリズムと、それに伴う満足感は、この構成に因るところでしょう。
このあとに、余韻を楽しむように彼らの小品(主に平面作品)が十数点続きます。
ジム=ランビー(イギリス)のインスタレーションは、床面を含む6作品で構成されています。
正直な感想としては、ランビーが一番分かりづらかったかな。
金、銀、黒、白のストライプが床を走る巨大なホワイトキューブ《ゾボップ》。
ペンキを頭からかぶった大きなインコ《ザ・バーズ》、アルミテープが巻かれた鍵穴形の大きな木枠《ボディロックス》。
割れた鏡でコーティングされた椅子とハンドバッグが宙に浮く《アンディスコ・ミー》。
見逃してしまいそうなぐらいひっそりと立てかけられた、でこぼこの杖《サイケデリック・ソウル・スティック》。
そして、壁にぺたりと張り付いた絨毯《ドント・ファイト・イット、フィール・イット》。
広大な空間がだれることなく、各作品が拮抗していたのは見事。
しかしそれはあくまで視覚上(感覚上)のこと。彼の作品が初見であったこともあり、この全てが「ランビー」という人間と、日本という土壌で結びついている、ということは感じられず、頭の中で唱えながら見ていきました。
《ゾボップ》一点の圧倒的な支配のもと、各作品の持つ領界との距離を測りつつ進む感覚は好きかもしれません。
気に入った一点は、絨毯の上に青、赤、紫、緑のラメが円く平たく固まった《ドント・ファイト・イット、フィール・イット》。アラビアンナイトの空飛ぶ絨毯のイメージと書いてありましたが、くたびれた絨毯はちょっと飛びそうにはなかったな。でも、細かな色の粒子の集合体が彼にぺったりくっついているさまは、可愛らしいおばけみたいでした。
渋谷清道(日本)のインスタレーションは、白と陰の空間。
カーペットが敷かれており、スリッパを履いて入らなくてはなりません。
床も白、天も然り。やや照明の落とされた細道から入っていき、突き当たりを探したり、低い間口を通るのにしゃがんだりしながら、渋谷の作品も探すという感じ。
小心者のわたくし、このような作品には、お化け屋敷に入るのにも似たささやかな恐怖心を感じるのが常なのですが、靴を脱いですぐに出会う《ミステリーサークル/影-1》の柔らかさのせいか、やさしい気持ちで歩くことができました。
渋谷の作品は、繊細な花形の環が、切絵のように切り抜かれたもの。
同じ曲線の反復で描かれた図形のはずの白いシルエットは、咲き乱れるようでもあり、観る者を中心に誘い込むようでもあります。静かな生命力に満ちた白い環が、いくつもいくつも。数え切れぬ泡のように浮き出ています。
この「切絵」が施されているのは、紙でも金属板でもなく、不織布なのです。
なんでも渋谷は日本画出身で、伝統的な日本画の素材に造詣が深いよう。
ぴんと張られるでもなく、時が止まったように重力に逆らう様子、白の顔料で塗り固められていることは分かったのですが、厚紙かアルミ板か……と思ってたので、びっくりしました。
あと、不覚にも部屋の角をなくした演出にも気づかなかった。気づきませんでしたが、知って腑に落ちた部分はありました。
まだ光の届く海の底、その綺麗な部分だけを敷き詰めたような白の部屋は、雑音を極力拝し、美しいものや言葉だけを想起させるものでした。
タイトルの中の「ミステリーサークル」「オーパーツ」「影」という単語の神秘性は、今回渋谷がテーマとしたという人魚姫物語と、彼の形作る環を介して結ばれています。
作品は決して神の手には拠りません。しかし、渋谷の神話的な美への敬意を通じて、それは創られているように思います。
白い小道を抜け出ると、エルネスト=ネトの部屋へ。
《それは地平で起こるできごと、庭》と題されたインスタレーションは、私が過去に図版で見た彼の作品に比べれば、シンプルでぎゅっと纏まっているという印象。それでも、柔軟に伸びるクリーム色の皮膜(のような布)、下方に突起する小石の張力、貫通する円形の穴の様子は、体内のどこかを引き伸ばして見せられたような懐かしさ、共鳴をもたらしてくれます。
ネトのインスタレーションに、エロティックさ、もどかしさを感じるのは、柔軟でありながら硬直し、決して裂けない皮膜のテンションゆえでしょう。
皮膜はその伸びやかなくびれの中に必ず「触れられない空間」を持ち、観者には見えないところで柔らかな唇をあけています。
我々は平坦に開いた穴の中に頭を出し、皮膜の地平を眺めるより他ありません。上下に張られた皮膜を繋ぐ柱と、わずかに沈む石と、穴の反復する風景。その中に、同じように戸惑う他者の顔を見つけると、同郷者のような気がするから不思議です。感覚や感想は共有しなくとも、細胞のレベルでひとは繋がっている。厳然たる風景を隔てながら、そんな風に感じてしまいました。
構造的な説明を欠いていて分かり難いかと思うのですが、柱の中にも入ることはできます。身長154センチメートルの私には、布のきめ細かさに遮断されてほとんど周囲が見えません。見る人と場所によっては、頭が上の布を突き抜けて、もう一つ別の風景が見えるのかも。
10月14日まで。
『「メルティング・ポイント」展』
会場: 東京オペラシティ アートギャラリー
スケジュール: 2007年07月21日 〜 2007年10月14日
8月5日[日](全館休館日)
住所: 〒163-1403 東京都新宿区西新宿 3-20-2
電話: 03-5353-0756 ファックス: 03-5353-0776
ヨコハマ・ナイト
昨日は横浜に行きました。
連休の中日に、ひとりで。ちょっとむなしい。
千葉からはさすがに遠くて、目的地二箇所を訪れるだけでへとへとになり、そのまま帰宅。でも、貴重な時間を過ごすことができました。
行ってきた展覧会については、後日のレビューで。
いま、ある人のことがとても気になっています。
数日間芸術について話し合い、たくさんの問題意識をくれた人。
まだまだ色々なことを訊いてみたいけど、それは私が問題としっかり向き合ってからかなぁ。
連休の中日に、ひとりで。ちょっとむなしい。
千葉からはさすがに遠くて、目的地二箇所を訪れるだけでへとへとになり、そのまま帰宅。でも、貴重な時間を過ごすことができました。
行ってきた展覧会については、後日のレビューで。
いま、ある人のことがとても気になっています。
数日間芸術について話し合い、たくさんの問題意識をくれた人。
まだまだ色々なことを訊いてみたいけど、それは私が問題としっかり向き合ってからかなぁ。
「オープン・スペース 2007」展
初台の東京オペラシティタワー内、ICCにて、来年3月まで行われている常設展示。
9月15日は、
坂本龍一+高谷史郎「LIFE - fluid, invisible, inaudible...」
鈴木英倫子「ユングフラウの月」
の、ふたつの特別展示の初日だったらしく、生・坂本龍一氏を拝むこともできました(展示の方は見られませんでしたが)。
作品・展示は、アート&テクノロジー、研究開発、ネットワーク、アーカイヴの4つのテーマに分けられています。ダイナミックなスペースに隣接して小部屋が設けられていて、各作品の味をよく生かしていました。
一番楽しかったのは《KAGE》。
一見、スポットライトの中に小さなコーンが点々と並び、白い床に影を落としている、だけのようなのですが……
この床が実は大きな画面になっていて、そこから突き出たコーンのひとつひとつにタッチすると、コーンの影が一斉に揺れたり踊ったり、カラフルに色づいたり、ぐるぐる入れ替わったりするんです。それだけではなく、いきなり魚や虫(のシルエット)が飛び出したり、画面がさあっと青空になったり。
もちろん子供も喜んでいましたし、大人の私たちの方も無邪気に驚き、楽しんでしまいました。
もうひとつ挙げるなら、無響室。以前から、入ってみたくてたまらなかったんです。
ドアは常時開放で、完全に外の音が遮断されることはありませんでした。しかしながら、中に一歩、二歩と踏み入れると、そこは異世界でした。
スポンジの凹凸だけで構成された室内は薄暗く、光が明滅しています。網張りの床を歩く音はうまく聞こえず、思わず漏れた声で、張りつめた空気の感触をよく知ることとなりました。
ジョン=ケージは無響室に入り己の体の音を聴いたことで「完全な沈黙など有得ない」ことを悟ったといいます。
私はといえば、無響室というといつも「世にも奇妙な物語」の、静寂を求め過ぎた作曲家の話を思い出します。
雑音を嫌った彼は、最後の最後に無響室に辿り着きます。譜面を前にようやくペンをとったのですが、完全なる無音状態であるはずのその部屋で「最後の雑音」を認めてしまい、それを止めるため、ペンを胸に突き立てて死んでしまった……。という。
そんなトラウマを抱いての入室でした。
一瞬で、耳の中まで真空になりました。
耳を塞がれるのとは違います。それなら、耳の中の音が聞こえるはず。水中で耳の中の空気を抜いてしまうのとも、また違う。
そして、どれだけ大声を出しても、体から声が出て行かない。顔を見合わせて話し合っても、異様な緊張状態にぽいと声を放り出すので、どうにも力が篭らない。
やっぱり、怖かったです……。
鈴木英倫子「ユングフラウの月」は、メルヘンチックな物語の世界。
ベルを鳴らすと、オーナメントの中の灯火がふっと明るくなったり、家の窓に息を吹きかけると、小さな街の灯りがついたり消えたり。
小さなピアノを弾いて遊ぶゲームも可愛らしかったな。
2008年3月9日まで。
『「オープン・スペース 2007」展』
会場: NTTインターコミュニケーション・センター
スケジュール: 2007年04月19日 〜 2008年03月09日
住所: 〒163-1404 東京都新宿区西新宿3-20-2 東京オペラシティタワー4階
電話: 0120-144199
9月15日は、
坂本龍一+高谷史郎「LIFE - fluid, invisible, inaudible...」
鈴木英倫子「ユングフラウの月」
の、ふたつの特別展示の初日だったらしく、生・坂本龍一氏を拝むこともできました(展示の方は見られませんでしたが)。
作品・展示は、アート&テクノロジー、研究開発、ネットワーク、アーカイヴの4つのテーマに分けられています。ダイナミックなスペースに隣接して小部屋が設けられていて、各作品の味をよく生かしていました。
一番楽しかったのは《KAGE》。
一見、スポットライトの中に小さなコーンが点々と並び、白い床に影を落としている、だけのようなのですが……
この床が実は大きな画面になっていて、そこから突き出たコーンのひとつひとつにタッチすると、コーンの影が一斉に揺れたり踊ったり、カラフルに色づいたり、ぐるぐる入れ替わったりするんです。それだけではなく、いきなり魚や虫(のシルエット)が飛び出したり、画面がさあっと青空になったり。
もちろん子供も喜んでいましたし、大人の私たちの方も無邪気に驚き、楽しんでしまいました。
もうひとつ挙げるなら、無響室。以前から、入ってみたくてたまらなかったんです。
ドアは常時開放で、完全に外の音が遮断されることはありませんでした。しかしながら、中に一歩、二歩と踏み入れると、そこは異世界でした。
スポンジの凹凸だけで構成された室内は薄暗く、光が明滅しています。網張りの床を歩く音はうまく聞こえず、思わず漏れた声で、張りつめた空気の感触をよく知ることとなりました。
ジョン=ケージは無響室に入り己の体の音を聴いたことで「完全な沈黙など有得ない」ことを悟ったといいます。
私はといえば、無響室というといつも「世にも奇妙な物語」の、静寂を求め過ぎた作曲家の話を思い出します。
雑音を嫌った彼は、最後の最後に無響室に辿り着きます。譜面を前にようやくペンをとったのですが、完全なる無音状態であるはずのその部屋で「最後の雑音」を認めてしまい、それを止めるため、ペンを胸に突き立てて死んでしまった……。という。
そんなトラウマを抱いての入室でした。
一瞬で、耳の中まで真空になりました。
耳を塞がれるのとは違います。それなら、耳の中の音が聞こえるはず。水中で耳の中の空気を抜いてしまうのとも、また違う。
そして、どれだけ大声を出しても、体から声が出て行かない。顔を見合わせて話し合っても、異様な緊張状態にぽいと声を放り出すので、どうにも力が篭らない。
やっぱり、怖かったです……。
鈴木英倫子「ユングフラウの月」は、メルヘンチックな物語の世界。
ベルを鳴らすと、オーナメントの中の灯火がふっと明るくなったり、家の窓に息を吹きかけると、小さな街の灯りがついたり消えたり。
小さなピアノを弾いて遊ぶゲームも可愛らしかったな。
2008年3月9日まで。
『「オープン・スペース 2007」展』
会場: NTTインターコミュニケーション・センター
スケジュール: 2007年04月19日 〜 2008年03月09日
住所: 〒163-1404 東京都新宿区西新宿3-20-2 東京オペラシティタワー4階
電話: 0120-144199
藝に遊ぼ。
週末に向けて模擬店の手伝いをしたりして、今週いっぱいは忙しそうです。
奇天烈な店の多い中、私たちのブースは、芸術は爆発だの真逆。かわいらしいお店です。
なんだか、子供の頃に戻ったような感じで作業をしています。
ひとりでペンキ塗ってたら、写真を撮られ、英語で話しかけられ……。
夏だからか、最近海外からの観光客が多い気がする。
奇天烈な店の多い中、私たちのブースは、芸術は爆発だの真逆。かわいらしいお店です。
なんだか、子供の頃に戻ったような感じで作業をしています。
ひとりでペンキ塗ってたら、写真を撮られ、英語で話しかけられ……。
夏だからか、最近海外からの観光客が多い気がする。
『芸術ウソつかない』 横尾忠則著
2001年、平凡社発行の、横尾忠則の対談集。
現在は絶版となっているようです。
何を隠そう、わたくし、横尾さん大好きなんです。
あの、禍々しい、パワー……!
そこらの露悪趣味や小手先の表現では到底真似できない、恐ろしい引力は、そのまま彼という人間を浮彫りにしている気がします。
あんな構図とモチーフ吊り下げて、あんなどぎつい色塗って、成り立つアーティストは他には居ないでしょう。
収録されている対談者は以下の通り。
篠山紀信/瀬戸内寂聴/鶴見俊輔/中沢新一/引田天功/ビートたけし/福田和也/細野晴臣/増田明美/三宅一生/吉本ばなな/横尾美美
このうち
篠山紀信(写真家)
引田天功(マジシャン)
ビートたけし(コメディアン・映画監督)
増田明美(元マラソン選手)
横尾美美(アーティスト・横尾忠則の娘)
あたりを楽しみにしていたのですが、読んでみるとどれも面白かったです。精神科医との対談もなかなか。
横尾さんは魂とか霊の話がお好きで、よく引き合いに出されます。
しかし、彼の持論の核は決してオカルトではありません。
横尾さんの主張は、肉体無くして芸術は生まれない、この一点に尽きます。
そしてそれはそのまま、私の心にひっかかっていた、芸術性に関わる最大の争点でもあります。
頭だけで考えた論理の、なんと空々しいことか。
身体性を欠いた芸術の、なんと間抜けなことか。
「その」コンセプチュアル・アート、面白いですか?
もしもあなたの造るものが言葉で説明して済むだけのものなら、キャプションと解説だけ貼っておけばいい。そこに、何の美も醜も無いのなら。
美術という肩書きだけならば、確かに、題をつけたり、美術館や画廊においたりという行為のみで獲得できるでしょう。
しかしそれでもたぶん、言葉にならないものを孕むからこそ、アートはアートなのです。
「ピカソは20世紀の遺物である」
横尾忠則ははっきりと断じています。
私はといえば……そう言い切れるほどピカソを理解できていませんし、単に頭で描いているものとは思えない。好きな作品も数点あります。
ただ、ピカソの絵の肌触りが、横尾忠則にちっとも通じないということは、よく解ります。
いや、横尾さんにとっては、肌触りすらないのかも。
現在は絶版となっているようです。
何を隠そう、わたくし、横尾さん大好きなんです。
あの、禍々しい、パワー……!
そこらの露悪趣味や小手先の表現では到底真似できない、恐ろしい引力は、そのまま彼という人間を浮彫りにしている気がします。
あんな構図とモチーフ吊り下げて、あんなどぎつい色塗って、成り立つアーティストは他には居ないでしょう。
収録されている対談者は以下の通り。
篠山紀信/瀬戸内寂聴/鶴見俊輔/中沢新一/引田天功/ビートたけし/福田和也/細野晴臣/増田明美/三宅一生/吉本ばなな/横尾美美
このうち
篠山紀信(写真家)
引田天功(マジシャン)
ビートたけし(コメディアン・映画監督)
増田明美(元マラソン選手)
横尾美美(アーティスト・横尾忠則の娘)
あたりを楽しみにしていたのですが、読んでみるとどれも面白かったです。精神科医との対談もなかなか。
横尾さんは魂とか霊の話がお好きで、よく引き合いに出されます。
しかし、彼の持論の核は決してオカルトではありません。
横尾さんの主張は、肉体無くして芸術は生まれない、この一点に尽きます。
そしてそれはそのまま、私の心にひっかかっていた、芸術性に関わる最大の争点でもあります。
頭だけで考えた論理の、なんと空々しいことか。
身体性を欠いた芸術の、なんと間抜けなことか。
「その」コンセプチュアル・アート、面白いですか?
もしもあなたの造るものが言葉で説明して済むだけのものなら、キャプションと解説だけ貼っておけばいい。そこに、何の美も醜も無いのなら。
美術という肩書きだけならば、確かに、題をつけたり、美術館や画廊においたりという行為のみで獲得できるでしょう。
しかしそれでもたぶん、言葉にならないものを孕むからこそ、アートはアートなのです。
「ピカソは20世紀の遺物である」
横尾忠則ははっきりと断じています。
私はといえば……そう言い切れるほどピカソを理解できていませんし、単に頭で描いているものとは思えない。好きな作品も数点あります。
ただ、ピカソの絵の肌触りが、横尾忠則にちっとも通じないということは、よく解ります。
いや、横尾さんにとっては、肌触りすらないのかも。



